千年前と千年後の感情に寄り添う 最果タヒが出逢った「言葉」と「感情」の関係性

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最果タヒ

この名前を聞き、あなたは「知ってる。詩人だよね」と思うかもしれない。それはもちろん正解ではある。しかし、それだけでは全く物足りない——。

1986年生まれの最果さんは、2004年よりインターネット上で詩作をはじめ、2007年に『グッドモーニング』で中原中也賞、2015年『死んでしまう系のぼくらに』で現代詩花椿賞を受賞し、2016年の詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は映画化もされ大きな話題となった。

でも、これは詩人としての話。

最果さんは近年、詩の発表はもとより小説の執筆や雑誌への寄稿、アーティストへの歌詞提供や美術館での展示など、その活動は多岐に渡り、文学界だけではなく、さまざまな業界から注目を集めている。

そんな各分野をしなやかに横断する最果さんは、どのような場面で心が響き、どのような瞬間に感情が動くのか。その「心の波紋」を聞いてみたいと考えたILUCA編集部は記念すべきサイトオープンに合わせ、最果さんにインタビューをお願いした。

最果さんの「心の波紋」を見つける旅。まずは千年前から続く思いを現代に届けた最果さんの著書『百人一首という感情』をひもときながら、彼女の感情の行方に迫った。

歌を詠みたくてたまらない、その感情にたどりつきたかった

——最果さんは2017年にアーティストの清川あさみさんとの共著『千年後の百人一首』で百人一首を詩で現代語訳され、昨年11月に百人一首を一首ごとに案内するエッセイ『百人一首という感情』を発表されました。そもそも「百人一首を詩で現代語訳してほしい」と依頼されたとき、最果さんはどう感じましたか?

学生時代は勉強として百人一首に向き合っていたので、正直なところ戸惑いました。当時は歌を1つひとつの言葉に分け、それぞれを現代語に当てはめ、「正しさ」だけを重視して解釈していました。けれど、一方で私にとって詩は「正しい」とか「白黒つける」ではなく、「誰にもわからないけど、そう思ってしまった」という感覚をそのまま表現するものなので、百人一首の現代語訳と私の詩の方向性が真逆に思えて困惑しました

——確かに真逆のアプローチですね。

でも、よく考えてみると、百人一首の歌だって、もともとはひとつの詩だったんだと気が付きました。昔の人は「あなたが好きです」とそのまま伝えるのではなく、思いを歌にすることで伝えようとしていた。直接的な表現を用いれば、もっと素早くわかりやすく相手に好意を伝えられるのかもしれないけれど、そうしたことよりも歌のほうがきっと真に迫る、と思っていたのではないかと思うのです。詩の言葉は、単純なものではありませんが、でも、だからこそ、その人自身の感情がそのままで伝わっていける。それを相手が受け取ってくれたなら、それは、他の誰かには立ち入ることのできない特別な関係を築くことができた、と言えるのかもしれません。歌で恋が育まれたのも、歌という言葉の特性が大きく関わっているのかもしれません。百人一首の歌を、「正しく読もう」とするだけじゃ、きっと足りないんだと思い直しました。

そうして、詩の言葉として百人一首を見つめ直していくと、言葉の向こう側にある、詠む人の衝動のようなものを感じるようになったんです。歌の詠み手たちの『この気持ちを歌にしたい』と感じた瞬間にまで遡ることで、詩の言葉で訳す、ということができるかもしれない、と思い始めました。そうしてできたのが『千年後の百人一首』です。この本を書いているあいだ、詠み手たちの感情が、千年を飛び越え、とても近いものに感じることが多くありました。最近出たエッセイ集『百人一首という感情』では、そのときに触れた彼らの感情や千年前の景色について書いています。

——百首それぞれの「この歌を詠みたい」という瞬間にたどりつくことは決して容易ではないと思いますが……。

本当に苦労しました(笑)。「うんうん、その感情はすごくわかるよ」って歌もありますが、男女が顔を見せずに恋をするといった、昔の風習が絡む歌は想像するしかできない部分も多く生きた人の感情として捉えることが難しかったです。

——その難しい状況をどう突破されたんですか?

わからなくても、近づいていくことはできるんじゃないかな、と考えていくうちに思うようになりました。たとえば、友達の話を聞いて「その感覚はわからないな」と思いながらも、それでもなんだかわかる気がすることってあると思っていて。たとえ共感できなくても、その子が、その子らしく生きていることが伝わってくると、それで十分だと思うんです。和歌に触れているときも、次第にそんな気持ちになって生きました。千年前のひとのことを、すべてわかろうとするのではなくて、その人が目の前にいて、恋とか仕事の話をしてくれているような、そんな感覚で向き合うことにしました。

思ったことのない感情や、抱いたことのない純粋さが私に降りてきた


——百人一首全ての歌を詩で現代語訳し、それぞれの感情をエッセイとしてまとめられたいま、なかでも特に印象に残る歌を教えてください。

77番は印象に残る歌のひとつですね。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ / 崇徳院

『百人一首という感情』P.229頁より

これは、帝の地位や権力も奪われてしまい、挙句に都から追放された崇徳院の歌です。人との別れを多く経験し、きっともう永遠に会えない人もたくさんいるであろう人が詠んだ歌。「川の流れが岩にぶつかり二手に分かれても、またひとつにまとまるように、あなたと別れても、また必ず会おう」というような意味です。別れを目前にして、再会を誓う愛の歌とされています。

——諦めきれずにいる崇徳院の激しい感情が伝わってきます。

別れ、といっても、今と昔ではイメージがちょっと違うかもしれません。今だとインターネットがありますし、「もう会えない人」とも、ふとしたときに再会できるかもしれない。そんな期待があるはずです。けれど、当時は身分や立場で会える人も変わりますし、地位を奪われてしまえば、周囲は絶望的に変わっていく。そのことを、崇徳院は身を以て経験しているはずです。それでも、「また会おう」と詠む、彼の歌には覚悟のようなもの、そうして愛に対する純粋すぎる執着心を感じます。

何も知らない、無垢な愛への憧れではなく、どれほどに困難が襲っても、決してこの愛を手放さない、といった鋭さのある純粋さ。歌に詠み込まれた水の流れと重なって、まるで崇徳院のまなざしに飲まれるような感覚になりました。

——百人一首での作者たちの「この気持ちを歌にしたい」という感情と、最果さんが「詩を書きたい」と突き動かされる感情に何か共通点はありましたか?

百人一首の歌は、手紙のような役割を担っていたところもあり、私の書く詩とはちょっと違うのかな、と思います。和歌には贈る相手が具体的だったり、歌会のように場が定まっていたりします。私の場合は、ネットという不特定多数が書く場所で書くこともあり、「自分の気持ちを伝える」ということとのために詩を書くことはありません。むしろ、詩を読んだ人の気持ちがどう動いていくか、ということの方が、興味があります。

詩の言葉は、具体的に詳細な説明があるわけではないし、わかりやすくもありません。でも、だからこそ、詩のあいだに、読む人の感情や悩み事が染み込んでいくように見えることがあると思うんです。その人が読むことで、詩に、その人の気持ちが混ざっていく。だから、読む人によって、作品の解釈も変わっていきますし、どう見えるかは私にもコントロールできないと思います。何かを伝えたい、という気持ちで書かないのはそういう理由もあります。

——詩の言葉のありかたが、昔とは違ってきているのかもしれないですね。

いまは端的に言いたいことを伝えるのが正しい、ってされがちだと思います。自分の気持ちって、本当は自分の言葉で伝えていくしかないんですが、たどたどしい表現や回りくどい言い方は「要するに何がいいたいの」とか「もっと、わかりやすく伝えてよ」って言われてしまう。誰もが知っている言葉や表現を借りてきた方が、受け入れられやすいんです。それは、言葉以外でコミュニケーションがたくさんできるようになったからなのかもしれません。昔の人は、手紙だけ、言葉だけで恋をしていて、そこに自分そのものを詰め込もうとしていたのかも、と思います。でも、だからこそ、今は、知らない人がネットに書いた言葉が、ふっと心の奥まで届くような瞬間が訪れるのかもしれません。昔とは違うところに、詩が息づいているのかもしれませんね。

「これが詩なのかも」 頭のフタが開いた瞬間 

——最果さんはご自身の詩が「説明できないけど、わかる」「よくわからないけど、好きだ」と言われるとうれしいとうかがいました。そんな「説明できないけど、わかる、好きだ」と感じる場面があれば教えてください。

最初にそういう感情になったのは中学生のときにBLANKEY JET CITY(※)の曲を聴いたときですね。「わかんないけど、カッコいい!」って。

※BLANKEY JET CITY…日本の3人組ロックバンド。1987に結成。2000年に解散。メンバーは浅井健一(Vo./Gt.)、照井利幸(Ba.)、中村達也(Dr.)。ほぼ全ての楽曲において浅井健一が作詞・作曲。

——中学生の女の子がBLANKEY JET CITYとは(笑)。

歌詞カードを何度読んでもわからなくて、でも、かっこいいことだけはわかるぞ、っていうのが衝撃でした。わからなくてもいいんだ、わからなくても好きになれるんだ、っていうことを知って、そこから一気に音楽が好きになったように思います。頭のフタが開いたみたいでした。ぐんぐん、いろんなものを吸収できたように思います。浅井健一さんの歌詞は、大きなきっかけでしたね。

——浅井さんの歌詞はパッと読んでも理解が難しく、独特の世界観ですよね。

浅井さんの歌詞は決してわかりやすくはないけど、それらは遠回りした表現とかメタファーでは決してなくて、歌詞のなかの私や僕が感じた「本当のこと」が描かれている。他の人の言葉を借りることなく、その「本当のこと」をそのままで書く浅井さんの歌詞にカッコよさを感じました。それから、日本語ってかっこいいんだな、そういう言葉を私も書きたいな、と思い始めました。私が詩人になるきっかけであったと思います。そのあとも日本語の歌詞の曲が好きで、はっぴいえんどとか、ゆらゆら帝国とかナンバーガールをよく聴いていました。

——いまでも当時聴いていた曲は聴かれますか?

はい。その頃の曲を聴くと、ものすごくドーパミンが出るんです(笑)。頭が真っ白になって、それから無性に言葉を書きたくなります。詩を書くエネルギーに今もなっています。

絵のなかにいるような感覚「あの空間はズルい」

——「なんだかわからないけど、好き」という感情はアートにも通じる要素があると思います。最果さんはこれまでにアートで心を揺さぶられた経験はありますか?

香川県の直島にある地中美術館でクロード・モネの「睡蓮」を観たときは、その素晴らしさに圧倒されました。あの空間は本当にズルいですよね(笑)。モネが生きていたら感動するんじゃないかな。

——この美術館はモネの「睡蓮」シリーズ5点のためだけにデザインされた空間があるので、他の美術館では味わえない特別な鑑賞ができますよね。

わりと人気の展示になると、列に並んで絵を順番に見て「あっ、そろそろ避けないと」みたいなこともあるから、頭のどこかでは「自分は何をしているんだろう」って冷静になってしまうことも多くて。でも、地中美術館は空間自体がモネというか、モネの絵のなかにいるような感覚になります。だから「本当の絵を見るってこういうことか」って気持ちにもなりました。

——ちなみに、モネのどんなところに惹かれますか?

光の表現が好きです。モネの絵は光っていないのに光として見えるんです。色彩全てが光の粒子として存在していて、まるでモネの瞳の中にいるみたいだ、と思います。

人生や感情を重ね、自分だけの詩が生まれる

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——「詩×グラフィック」のセクションでは最果さんの詩が祖父江慎さん、服部一成さん、佐々木俊さんの手によって表現されました。自身の言葉が他の人の手に渡り、新たな表現になることについてどう感じましたか?

私の詩が雑誌や本で表現される場合は、いずれもデザイナーの手を通ることになります。言葉は、文字にならなくちゃ読み手には届かないし、どうレイアウトするかで詩の印象って大きく変わっていく。でも、書いている私はそのことにかなり鈍感でいるなあ、ってことがずっと気になっていました。そんなときに太田市美術館から展示の依頼を受けて、それならデザインと言葉の関係を追究してみたい、と思ったんです。本ではデザインはかなり抑制されたものとなることが多いですが、そこから飛び出した時、どんなふうに言葉とデザインは展開していくのだろう、ということがとても知りたくて、尊敬する祖父江さん、服部さん、佐々木さんに依頼をしました。

——展示作品を見てどう感じましたか?

言葉が、ずっと生々しく見えることがおもしろかったです。展示のために、言葉が装飾されていくというより、よりナチュラルな言葉がそこにあるように見え、とてもダイナミックでした。展示作品を見ている間、詩を書いた瞬間の感覚が蘇ってくるような感覚になりました。

——2月23日から横浜美術館で有望な若手アーティストを紹介する「New Artist Picks」シリーズとして、最果さんの個展『最果タヒ 詩の展示』が開催されています。この展示を体感した人がどんな気持ちになってほしいと思いますか?

どんな気持ちになってほしいか、ということはあまり考えていないです。見る人それぞれが、その人の感覚で言葉に触れていってくれたらと思いますし、だからこそ、それぞれ感じることは違うように思います。私にとって、「読む」という行為は、ただ受動的な行為ではなく、書き手とともに作品を完成させていく、とても能動的な行いなんです。読んだ人が、自分の気持ちと言葉を重ねて触れていくことで、詩はその人だけの形に姿を変え、完成するのだと思います。

今回の横浜美術館の展示でも、読む人がいてこそ完成する作品を意識しています。デザインは佐々木俊さんにお願いし、ギャラリーと図書室、カフェの3箇所で展示をしています。ギャラリーでは、詩を分解した言葉のモビールが森のようにいくつも重なり、次々と詩の言葉が入れ替わるような作品にしました。その人が、その瞬間、その場所に立つことで見える言葉の並びがあり、それはその人が能動的に見つけ、読んだ言葉だと思います。自分が詩をつかまえていく、そんな瞬間を楽しんでもらえたらうれしいです。

「最果タヒ 詩の展示」ビジュアル

ふと詩が目に入る景色をつくりたい


——詩の発表はもちろん美術館での展示や雑誌の寄稿、歌詞の提供など、年々、最果さんの紡ぎ出す言葉が加速度的に広がりをみせていると感じます。その活動の先に思い描く、未来の景色を教えてください。

街のなかに詩があることが理想です。2017年のクリスマスにルミネのキャンペーンで私の詩が館内の階段やエレベーターの扉などいろいろな場所に装飾されたとき、詩をあまり読まない人も「えっ、何これ」とついつい読んでしまっていました詩集を読む、となると慣れていない人は緊張感を持ってしまうし、それこそ「ちゃんとわからなくちゃ」とこわばったまま言葉に向き合ってしまう。でも、街に詩があれば、もっと不意打ちで言葉がやってきてしまう。ビルや看板など街でふと詩を目にして、なんとなく読んで、「なんか、わからないけど、でも好きかも」みたいな気持ちになってくれたら、それってとても素敵だと思うんです。そんな瞬間を増やしていきたいです。

ライター:船寄洋之/撮影:倉持真純/編集:柿内奈緒美

最果タヒ

詩人。中原中也賞、現代詩花椿賞などを受賞。主な詩集に『死んでしまう系のぼくらに』『天国と、とてつもない暇』『空が分裂する』などがある。詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は石井裕也監督によって映画化された。清川あさみとの共著『千年後の百人一首』では100首の現代語訳を手がけた。最新刊はエッセイ集『百人一首という感情』。

 

 

著者:最果タヒ
デザイン:小林一毅+浅田農
定価:本体価格1500円+税
ISBN 978-4-89815-487-8
2018年発行

最果タヒ 詩の展示
会期 2019年2月23日(土)~3月24日(日)
会場 アートギャラリー1、Café小倉山、美術情報センター
休館日 木曜日(2019年3月21日[木・祝]は開館)、3月22日(金)
開場時間 11時~18時  *Café小倉山は10時45分~18時
*2019年3月2日(土)は全会場20時30分まで
観覧料 無料
公式サイト https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190223-526.html

 

Hiroyuki Funayose
Hiroyuki Funayose
ライター
鳥取県生まれ。アパレルメーカー、出版社を経て、現在はギャラリー運営のほか、ライター業、出張コーヒースタンドもおこなう。