クラシック音楽のむずかしくない話 「モーツァルト編」

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モーツァルト編」

日本最古のオーケストラ、東京フィルハーモニー交響楽団で長年に渡り広報渉外部長を務めてきた松田亜有子さん。耳馴染みのあるあの曲や、誰もが知っている作曲家の制作の背景にはどんなエピソードがあったのでしょうか。

世界中の音楽家たちと交流のある松田さんならではの視点で、毎月1曲のクラシック音楽をチョイス。松田さんと親しい間柄でイタリアはヴェローナ在住の素晴らしいピアニスト、セルジォ・バイエッタさんのピアノ演奏付きで、ミュージックサロンのようなひと時をお届けします!


 

みなさま、はじめまして。このたび、音楽コラムを担当することになりました、松田亜有子です。東京フィルハーモニー交響楽団という日本で最も歴史あるオーケストラの広報渉外部部長として、「東京フィル創立100周年記念ワールドツアー」や「日韓国交正常化50周年記念公演」といった、さまざまな企画の世界各地への広報や、主催者・協賛者との交渉を務めてきました。昨年10月末に独立した現在は、プロデューサーとして海外の音楽祭や劇場、音楽家たちと仕事をしています。

さて、記念すべき第1回のコラムは、世界で一番人気!の音楽家、モーツァルトについてです。

「その奇蹟 を見て気が狂わないように身を守るのはむずかしいでしょう。聖パウロ様だってオツムがおかしくなられたのですから 」

(三善晃著『ぴあの ふぉるて』毎日新聞社1993年より引用)

これは、当時7歳だったヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91年)の演奏に接した、パリのオルレアン公秘書のグリムが綴ったものです。ここで彼が「奇跡」と呼んでいるのは、まさにモーツァルトの才能のことです。それほど衝撃的だったのでしょう。

音楽になじみのない方でも、モーツァルトが“神童”として一世を風靡したという逸話は、お聞きになったことがあるのではないでしょうか。4歳でピアノを弾き、5歳で作曲を始め、6~7歳のころには本格的な協奏曲を弾き、ソナタや交響曲の作曲をスタート、12歳になるとオペラを作曲したと言われています。14歳の時には、ヴァチカンで門外不出とも言われた世にも美しい合唱曲、アッレグリ『ミゼレーレ』を一度聴いただけで、宿に帰って総譜を書き上げてしまった!というエピソードも残っています。

父・姉と共に演奏をするモーツァルト

このモーツァルトの才能を見抜き、それを伸ばすことこそ自分の責務と信じたのが、父レーオポルト・モーツァルトです。レーオポルトはザルツブルクの宮廷楽師でした。ヴァイオリン教師として有名で、彼がつくった『ヴァイオリン教本』は数か国語に翻訳され、今も教材として使われています。レーオポルトは、ヨーロッパ各地で息子のモーツァルトを紹介しようと演奏旅行を計画しました。

生まれ故郷のザルツブルクから、ウィーン、ミュンヘン、イタリア 、パリと大旅行を馬車で移動しましたが、当時はヨーロッパ中に森があり、森賊なる強盗がいたうえ、宿のベッドは湿っていて健康にも劣悪な環境だったといいます。まさに命がけの旅です。

そうした状況にも負けず、モーツァルトは旅先で流行のオペラやオーケストラなど、新しい音楽や言葉をどんどん吸収していきます。そして、行く先々の演奏は、父レーオポルトが期待したとおり、大きな賞賛を受けました。

長い旅の後、再びザルツブルクの地に辿り着いたモーツァルトは、父と同じくザルツブルク宮廷音楽家になります。しかし、大司教と喧嘩してしまい、二度とザルツブルクには戻らないと宣言。亡くなるまでの10年間はウィーンで生活を送り、フリーランス音楽家の先駆けとしてかなりの収入を得ました。

生まれてから父レーオポルトの指示通りに動いていたモーツァルトでしたが、最後まで父の反対を押し切って自分の意見を通したことのひとつが、フリーランスの音楽家としてやっていくことだったと言われています(ちなみにもうひとつは、コンスタンツェ との結婚)。貴族の令嬢や婦人から高いレッスン料をとったり、有料の音楽会を開いたり、はたまた作曲をして出版社に売るなどが、その収入源だったようです。そう聞くと当たり前のことのようですが、王侯貴族などパトロンのために音楽をつくり召使のように仕えていたそれまでの作曲家の生活と比べて、自分の好きな曲を作って自分で稼ぐというのは画期的なことでした。こうした流れを、ベートーヴェンらがその後加速させていきます。

フリーランスの音楽家として稼ぎのよかったモーツァルトでしたが、晩年には一文無しになってしまったそうです。諸説ありますが、その理由はよくわかっていません。でも、お金ではなく、私たちを最高に幸せにしてくれる音楽をこの世に遺してくれました。

今日も、世界のどこかでモーツァルトの音楽が流れている。そんな奇跡をつくってくれた、本人の努力もさることながら、その才を見出した父レーオポルト・モーツァルトに感謝!

そして、毎回このコラムでは、イタリアヴェローナよりピアニストのSergio Baiettaさんが音楽を届けてくれることに。モーツァルトがザルツブルクを離れ、ウィーンへ移住したころ、ウィーンではトルコの軍楽が大変な人気でした。いち早くモーツァルトはその流れをキャッチし、ピアノ曲を作曲。今でも愛され続けている「トルコ行進曲」(ピアノソナタ第11番第3楽章)をお楽しみください。現代の神童ファジル・サイの編曲版をお届けします。

モーツァルトの最後の交響曲第41番『ジュピター』は、扉を開けるとキラキラと輝く世界が待っている!と感じられる素晴らしい曲です。がんばれがんばれ!と大きな声援を送るのではなく、「あなたといつも一緒にいるよ!」とそっと寄り添ってくれるようなメロディです。

交響曲第41番『ジュピター』の名演はたくさんこの世に残っています。カール・ベーム&ウィーンフィルの演奏は特におすすめですよ。

 

Ayuko Matsuda
Ayuko Matsuda
コラムニスト
活水女子大学音楽学部ピアノ・オルガン学科卒業後、長岡市芸術文化振興財団にて企画・広報に従事。その後、東京フィルハーモニー交響楽団を経て、日本郵政株式会社コーポレートコミュニケーション部門のCSR担当として具体的活動の企画立案・実現に取り組む。経営共創基盤(IGPI)参画後は、大手事業会社のCSR活動推進、IGPIが出資支援した事業会社の成長支援に尽力する。2013年、再び東京フィルに戻り、「東京フィル創立100周年記念ワールドツアー」「日韓国交正常化50周年記念公演」「日中国交正常化45周年記念東京公演」の広報渉外統括責任者として、世界各地での広報、主催者・協賛者との交渉に務める。2018年11月、コンサートの企画等を行うアーモンド株式会社設立。株式会社経営共創基盤顧問。